多数決の国

※ひたすら長いです。
多数決というのは何かを決める時にはかなり説得力のある手段ですが、多数決で選ばれたことが正しいとは限らないのはちょっと考えれば明らかなことです。理不尽な多数決を見たりしたりした経験は誰にもあるものです。学校とかで特に。なのでこのことについての説明は省くことにして。
つまりは社民党共産党にだって存在意義があって、ひとたび比例を削ってしまい選挙区制が中心になると、その時々の情勢でマスゴミに流されふらふらする『浮遊票』によって小さい政党は押しつぶされてしまう可能性が高いです。(′・π・`)
例えば政党Aの支持者が八割、政党Bの支持者が二割だとして、どこの地域でも政党Aがマスゴミによる熱狂的な人気で選挙区制だとまず勝てる見込みがない場合、議員定数が100人で選挙区制と比例代表制で半々ずつ選出される場合10人はちゃんと政党Bの議員が当選します。全体の10%ですが少数者の民意は反映されます。ちなみに少数政党は力がないわけではなく存在意義がないわけでもなく、ちゃんと少数政党としての仕事があります。(二大政党制の国もありますが、その場政党の中でも意見が分裂して色んな派閥が出来ているので一枚岩ではないそうです。日本は政党には画一性が求められ、意見が会わないと離党し新党を立ち上げる傾向があるので、諸外国に影響されて安易に『二大政党でいいじゃん』とか考えるやつは頭を冷やすんだな!)
ですが、もし議員定数削減(キラッ)で、議員定数を70人にし、比例代表を二割にすると、単純計算で政党Bの議員は約3人しか通りません。全体の4%くらいです。つまり国民の『少数者の意見』がより国に届かなくなりますね。マイノリティは死ねということか。
今のは例え話ですが、議員定数削減報道で削減数を見て頭の中で単純計算したら……とりあえず共産あたりがガチで死ぬことがわかった。いや元々あんまり息してない気もするけど。
特に橋下には悩まされます。参議院廃止って……なにそれ。

多数決といえば『キノの旅』(ライトノベル)の中に『多数決の国』の話があります。
ややうろ覚えですが、悪政&圧政を倒し「これからは平等に多数決で決めよう!」としたのですが、『(多数決の時に)少数になったほうは死刑』というトンデモ法律があったせいで、何かを決める度に少数者が死に『伝統を重んじる多数者』のせいで『死刑に反対する少数者』も処刑されてしまい、やがて二人しか残らなくなり、一人は病に倒れ、ぼっちになる話です。ぼっちな『多数決の国』の最後の国民は、キノとエルメスをその国の新たな国民にしようとしますが、キノとエルメス(二人。エルメスは人間じゃねぇとか言わないように)は多数決で彼(もちろん一人)に『国民にならない』と反対しました。彼がどうなったか……は置いといて。
これはもちろんフィクションですし現実ではありませんが、行き過ぎた『多数決』の行き着く先は、この『多数決の国』なのではないかとふと考えたりします。ある点では多数者でもあったとしても、ある点では私たちは必ず少数者ですから。
そんなキノの旅は救いがなかったりブラックだったりするところが面白いです。他にも考えさせられるエピソードはあるのですが、それは次の機会に。
ご精読あざーした。