ちぢ

石原知事が辞職したそうですね。新党かぁ。ちなみに私は石原氏がだいっ嫌いです。……もう引退しようよ、お爺ちゃん。
そう言えば、死体宅配便(漫画)にモロに都知事ネタがありましたがアレは強烈だった。大丈夫なのだろうか……。障子をナニで破る小説、とか。キャラデザとか。時代背景とか。まんまじゃないですか……
ニュースで石原氏の五輪誘致についての話がやっていましたが、個人的には勿体無いと思うんですよね。経済効果(笑)なのは、祭りの後を見ればわかることですし。経済効果( )はあったとしても一過性で、庶民の生活を支えたりはしないんだし。といっても五輪大好きな方々はたくさんいますし、誘致自体に反対はしませんが。誘致と称して税金無駄遣いは止めようぜ、とは思います。よくわからない低レベルPR動画に数億円使ったという過去があってだな…

そう言えば。震災から月日が立ちました。相変わらず寄付もしなければボランティアもしないスタンスを貫いています。
「赤い羽に募金したよ、社会に貢献した」というひとのセリフを耳にしたんですが、社会に貢献したつもりになってるだけだよとしか思えない。赤い羽は学校で募金袋を配布して回収させるあたりやり方が姑息だと思うんだ。みんな小銭を出してる中で孤高を貫くことは難しい。
話を戻して震災といえば、
義援金(笑)
ボランティア(笑)
復興予算(笑)
復興予算の内容がガタガタなのは最近になって報道されるようになりましたが、突然湧いた使い道を限定されない予算は無駄遣いされて当たり前。むしろ役立つことが奇跡なのだとなぜみんな復興予算( )と聞いた時点で気づかないのだろう。
そんな私がニュースを見ても「ふーん、やっぱり」な反応ですが、この世界には人の善意を信じる純粋な方々が多いようです。……そのほうが人生が楽しいかもしれませんね。
ボランティアや義援金についても同じことで、自分の寄付金の行く先や使われ方を知っている方々は果たしてどれだけいるのだろう。巨額の寄付金が全国から、外国からも与えられた。だけど復興はなかなか進まない。お金はどこに消えた? ボランティアは何をした?
寄付をする、ということは。見知らぬ人間にお金を渡して『私の代わりに助けて』と頼むことです。そのへんの道端で出会った名前も顔も人柄も知らない人間にお金を渡して物を頼む、ということは誰もしない。でも団体や使用用途について知らないまま金だけを渡して「いいことをした」と満足する。
もちろん全てが届かないとは思いません。救われる人もいるかもしれない。だけど、それは寄付しただけでは分からない。
もしかしたら自分の出した金が誰かを苦しめてるかもしれない。だれかの私腹を肥やしてるのかもしれない。だけど、それも分からない。
金だけ出して満足するのなら『(子供のために使われない)子供手当て』と同じ結果になりかねない。
ただ、満足してしまうのなら──偽善ではないだろうか。
だから、ただ寄付しておいて胸を張るのではなく、善意の行動にも責任を伴うことを理解し、正しく使われるように、調べ知り見張ることが必要なのではないでしょうか。
……そんな私は責任が持てません。寄付もしませんが。